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恐ろしくてしかたがない [2006年 以降]

 僕のところはネットは切れない。携帯も今日はずっと使える。
 映像を見てると泣いてしまう。
 緊急地震速報が出るので見ていないわけにはいかない。
 服も脱げない。
 気仙沼には行ったことがある。
 怖くてしかたがない。
 途切れてしまった人のことを思う。
 僕は何故こんなにもたくさんの糸を切ってきたのだろうと思う。
 無事なんだろうか。
 知る術がない!

 


アンジー 『蠅の王様』 [日本のロック]


 かつてアンジーというバンドがありました。
 グルーPンとかhリエモンに捧げます。

 


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不確かな時代(の継続、あるいは再来) [2006年 以降]


 年も改まったし、少し酔ってもいるので(『〆張鶴』また送ってくれてありがとう、友よ。)、真面目なことを書いておこう。僕は基本的には真面目な人間なのだ。基本的じゃない部分はかなり不真面目かもしれないけれど。

 80年代、僕らは「新人類」、と呼ばれた。ちなみに1986年の流行語大賞。
 良い意味性を持っている言葉ではない。古代エジプトからの相も変らぬ年長者が若輩に冠する「最近の若いものは」の亜種と捉えることもできる。一般的な「新人類」の傾向の定義は、社会の一員であることを自覚しない無責任さと、現実を仮想現実化(フィクション化)し直視・直面しない不確実性。

 僕がその時代を思うとき、イメージは高くそびえる壁が浮かぶ。前世代が構築した、高度に管理された(と信じられていた)あの社会では、僕らはそうなるしかなかったのだ。既成の立体迷路を右手法か左手法か、とりあえずそびえる壁に沿って行くしかなかった。
 個人的には「社会が悪い」という物言いは嫌いだ。社会が悪いと呟くくらいならば社会を良くする案でも捻りだしてみたら良いのだ。思考するだけでも。僕は「想像力」の信奉者だから(ついでに反骨が本性だから)、そう思う。でも尾崎豊が歌ったこともある面ではあの時代の真実だ。尾崎の歌が嫌いであることに変わりはないけれど。

 でも。そう、でも、だ。
 あの時代、あんなに強固で、絶対に思われていた立体迷路は、この数年、見事に綻び始めた。もしかしたら最初からつぎはぎだらけの張りぼてだったのかもしれない。総ての組織は等しく腐敗する、という僕の持論からすれば、ついにそのときが来た、ということなのかもしれない。
 僕らの前世代が構築したシステムは壊れ始めている。
 おそらく本当ならば、もっと早くに僕らが壊してしまうべきだったのだろう。
 一党独裁の政治、年金システム、マスメディアの世論形成ファシズム、検察・警察の公権力ファッショ。
 僕は本当にようやく気づいた。80年代、拳を振り上げてファッショを憎むロックンロールを歌っていた頃、既に僕はファッショの中にいたのだ。今もまた。
 80年代、常に苛苛して、なんにも満足できなかった僕のフラストレーションは、そこに要因があったのではないだろうか。

 最近の若い者は、とは僕は云わない。だって、彼らは僕らとおんなじだからだ。社会とコミットする意欲がなく、フィクション化した現実に遊ぶ。僕らがきちんと腐敗したシステムを壊さなかったが故に、彼らはもっと劣悪な迷路に放り出されてしまったのだ。

 不確かな時代。それはテクノポップの80年代だけの話ではなく、今もまた、あるいは、ずっと継続していたのだ。
 もうたぶん、猶予はない。
 カンやイシハラの悪夢に付き合ってる余裕なんて、もうないのだと、僕は思う。今年どうにかならなければ、もうどうしようもない。僕はそんな予感がする。

 


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2011年 はじまり [2006年 以降]

 

 ハッピィ・ニュー・イヤー、ミスター・ロレンス。

 卯年ですね。兎です。ラビット関根のカマキリ拳法の年です。ナオコおばあちゃんはとりあえず関係ないです。
 最近ペットとして兎を飼うのが流行っているみたいだけど、兎(のウンコ)は猫(のウンコ)の6.5倍くらい臭いので僕は好きじゃないです。あと、兎はけっこうワルそうな顔をしてますし。蒼いのももう復帰したんだそうですが。

 兎は一羽二羽と数える鳥類です。鳥です。獣肉じゃなくて鳥肉なので食べても良かったのです。
 僕はこれを本で読んで知って、小学校低学年の頃にクラスで披露して、嘘吐き呼ばわりされました。翌日には感心されましたけど。みんな家で親に聞いたんでしょうね。ざまあみろ。
 兎はでも食べたことないなあ。蝦夷蛮人なので熊や鹿やトドは食べたことがあるんだけど。あとはフレンチで、カエルもカタツムリも。兎もフレンチの食材だけど、ないなあ。どこか食べられるところ探してみよう。卯年に兎を食らうというのは正しい気がする。

 キャロルの三月兎は、「三月の兎のように気が狂っている」という慣用句から来ています。まあ、繁殖期にはたいていの動物はそんな感じですが。猫とかね。人間は始終そうですかね。
 あとは『プレイボーイ』のマークとか、バニー・ガールとか、くだらないことしか思いつかないので、お餅焼いて食べて寝ます。

 今年もよろしくです。

 


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2010年 おわり [2006年 以降]

 

 早いもので今年も残りわずかとなりました。今年は年越し蕎麦をもう食べてきました。なので僕の中ではもう2010年は終わっています。ところで、僕は、僕の中でとか、僕的にとか、あんまり云いません。率直に云って好きじゃない言い回しです、僕の中では。
 蕎麦は好きだけど、蕎麦通じゃないので、あったかい蕎麦が好きです。がちがちのゴムみたいな十割蕎麦を有り難がる文化も持ってないので、鴨南蛮がベストだと考えています。柚子胡椒がちゃんと付いてくる店だったら何も文句はないです。鴨南蛮に柚子胡椒を付けない店には大いに文句はあります、僕的には。
 以前ふらりと入った店で(店の構えは良かった)、鴨と葱のあんかけみたいなものが載っている鴨南蛮(もどき)を出されたときは驚きました。あまりに驚いたので持っていた湯飲みを壁に叩きつけようかと思いました。蕎麦茶じゃなくてただの緑茶というのもどうなんでしょうか。トイレに行って、出てきたら店の親父にぎろりと睨まれました。何も声をかけずにトイレを使ったのが気に食わなかったのでしょうか。蕎麦打ち中に肩が外れればいいのに。いつも行く店の美味しい鴨南蛮より200円も高かったことがまたなんとも。外の暖簾が風で飛んでいって小学校の焼却炉の中に飛び込めばいいのに。二度と行かないし、僕の持っている卑小な口コミュニケートでせいいっぱい逆宣伝してやろうと思います。食い物の恨みは恐ろしいのです。

 なんか、なんにもない一年だったようで、気が抜けています。
 まあ、毎年いろんなことが降りかかるというのが僕の中ではデフォルトだったので、良い年だったのでしょうか、僕的には。
 それでは、良いお年を。

 ところで、この「良いお年を」って、意味不明じゃないですか? だって、残り数日とかじゃないですか。次の年のことを祈っているんですかね? うーん。
 それでは、良いお年を。

 

 

 

 参考文体:新聞(笑)のコラム

 


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尖閣ビデオ流出 [2006年 以降]

 youtubeに尖閣ビデオがアップされました。観ましたよ。
 これはもはやクーデターだね。
 この国はもう、統治されていないようだ。

 ツイッターが死んでるのもこのせい?

 


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いくつかのうた 2010-10-26 [詩<鴉のうた>]

野良犬の類である

何処が此処で

 

                                              

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誤用と誤読とあれこれ 螺旋思考 2010-10-07 [螺旋思考]


 ペンを握って紙に向かうときには、「以外」と「意外」を誤記することなどないのだけど、キーボードで打って変換した文章では、僕も以外と間違っている。これはATOKがアホなのか、僕の注意力が散漫なのか。

 僕は理系の学校に進んだが、実にもっとも得意としていた科目は現国だ。中学以降、現代国語の試験で学年トップを譲ったことはほとんどない。何故か。単純な話、僕は読書家だっただけのことだ。僕の持論なのだけど、国語の授業は本を読むだけでなんとかなる。
 なので、僕はあまり誤読はしないし、他人の誤読にはよく気づく。
「早急」を「そうきゅう」と読むことにはもう全国的なコンセンサスができているような気がするけれど、僕は「さっきゅう」と読むし、さっきゅうであるべきだし、正されるべきだと思う。カンナオトが「そうきゅうに」とか云ってるのを見ると、だめだこりゃと思う、長介のように。薬害エイズとカイワレが誇りの元厚生大臣が「疾病」を「しつびょう」と読むくらいひどい話だと思う。

 デバイスの研究開発である僕の職場は基本的に理系の人ばかりだから、漢字や文章には弱い人もちらほらいる。字を問われて、「けものへんに・・・」と云っても通じなかったり。「にくづき」なんて云ったら、いやらしいことを云うなとか怒られるんじゃないかしら。
 あるいは「相殺」を「そうさつ」と連呼してプレゼンしてる人もいたりする。

 よくある誤用としては、「確信犯」、がある。これはTVのコメンテーターとかもよく間違っているのだけど、「確信犯」とは「悪いことだとわかっていて(確信して)あえて行う犯罪」のことではない。本当の定義はこうだ。
 政治的・宗教的な信念に基づいて正しいことだと確信して行われる犯罪。
 たとえばオウムの信者たちがやったような。

 豆知識的になるけど、「灯台下暗し」の灯台も、岬に立ってるあの灯台ではない、ということも案外、知られていないのではないだろうか。意味としては間違ってはいないから、どうでもいいのかもしれないけど、この灯台は、「燈台」とも書いて、時代劇に出てくる室内照明器具のことだ。

 賢しらなコドモの頃は、こういった他人の間違いをことさらに指摘したものだけど、なんだか面倒くさくなって、最近は聞き流すオトナな僕なのです。

 


実験動物 螺旋思考 2010-09-28 [螺旋思考]

 定期健康診断で、便に潜血があって引っかかり、昨日、大腸内視鏡検診に行ってきた。ここニ三年、健康診断で常に「要精密検査」になってしまう。諦めて来年からは端から人間ドックを選択しよう。はっきり云うけれど、僕は病院が怖いので、長時間あの空間に居ることはできれば避けたいのだけど。注射で血を抜き取られるのが最も怖い。あれ、けっこう余分に取るよね? なんで? サンプル菅に入る分だけでいいじゃないか。そして、これは確率論だということはわかっているけれど、針が神経をクリーン・ヒットしたときは本当にものすごく痛い。看護師さんのせいじゃないことはわかっているけれど、「うにゃあああ痛いいいいへたくそおおおお」と思ってしまう。

 例によって話がそれた。大腸内視鏡検診。
 朝一で病院へ行って、ニフラックという整腸剤を2リットル、2時間かけて飲むように指示された。ニフラックはほのかなグレープフルーツ味で、少し塩気があって(塩化物なんだろうか、生理食塩水に近いのかな?)、微妙にゲル状。冷えていた最初の頃は苦もなく飲めたのだけど、だんだんとその塩味が気持ち悪くなってきた。お茶や黒糖飴で誤魔化しながらなんとか飲めたけど、できることならばもう二度と飲みたくない。でも僕のおなかの中は2リットルではきれいになりきれず、500ミリリットルの追加を言い渡された。ひどい。あんまりだ。便を出したあと、何度も看護師さんを呼んで確認してもらうのもつらかった。むごい。

 僕がこの検査を受けた総合病院は雰囲気はとても良かった。仕事上、大学病院ばかりこのところ見ていたので、過度のシステム化に暗澹たる思いを持っていたのだけど、まだこういう病院はちゃんとあるのだ。この病院の評判が良い理由がわかった。
 でも最初に説明を受けた男の医者(かな? 内視鏡技師みたいな肩書きでもあるのだろうか。放射線技師みたいに。)の言葉はちょっと引っかかった。「トイレは4つありますからどれを使ってもいいですから。シンショウのを使ってもいいです。」と彼は云った。僕は一瞬、彼が何を云っているのかわからなかった。意味がわかってから、とてもとても嫌な気分になった。保健指導のお姉さんはとても良い感じだったからそれで帳消しにしてやる、と個人的に心を相殺した。

 内視鏡検診じたいは何をされたのかさっぱりわからなかった。麻酔を注射されている最中に、僕はあっさりと完全に意識がなくなってしまったから。会社で経験者に聞いていたところでは、ぼうっとする程度で意識はあるということだったけど。僕はふだんあんまり薬とか飲まないので、効きすぎるのだろう。頭痛でもバファリン一錠でじゅうぶん効く。便利。
 気づいたら待合室に寝かされていた。検診室から看護師さんに支えられて歩いてくる人たちを見ていたけど、僕もそうやって運ばれたのだろうか。ぜんぜん記憶がない。
 ビーグル犬になった気分だ。

 僕はいま医療系のデバイスに関わっている。ビーグル犬での動物実験も行った。それは「実験動物」と呼ばれる。ゲージの中で生まれ、ゲージの中で管理されて生育される。疾病もなく、余計な菌も持たない、どのような実験にもフラットなデフォルトな生体。それが「実験動物」。ビーグルは個体差が少なく、多産であるために、適している、と云われている。おとなしく人に従順である、とは云われていないけれど、それもあるだろうなと個人的には思う。
 このことについて僕は多くを語りたくはないし、語る資格もない。
 ただ、ビーグル犬になったようだ、と、思っただけだ。

 最後に保健指導のお姉さんに自分の大腸内部の写真を見せられて説明を受けた。ここが肛門の近く。ここは小腸との繋ぎ目。どこも何も悪いところはない。
 何故オレは良い感じのお姉さんと肩を寄せ合って自分の大腸内部を真剣に見つめているのだろう、とは考えないように努めた。来年は人間ドッグにしよう。きちんと実験動物になろう。
 僕の職場には看護師を連れ合いにしている人がけっこういる。彼らは云う。「人だと思っていたら仕事にならない、と彼女たちはよく云うよ。」
 たぶん、そのとおりだろう。

 


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歌姫論(カヴァー編) 螺旋思考 2010-08-03 [螺旋思考]


 どちらかというと僕はカヴァー曲というものには批判的。
 歌というものはその時代を映す鏡の側面もあるわけで、シンガーには「いま」を歌ってほしいし、そうあるべきだと思っている。
 ただしホンモノの歌姫においてはその限りではない。
 どの時代のどの気分も歌うことができる、それが歌姫の歌姫たる所以であろう。

 僕の好きな歌姫ふたり。ついこのあいだUAが出し、そしてもうじき元ちとせがカヴァー・アルバムを出す。

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 UAの『KABA』には、ピンクレディーの『モンスター』とか薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』なんかが入っていて、僕らの時代感がくすぐられる。カヴァーというものの正当な効果。ただ、実際のところ僕はその効果に批判的なわけで、UAもそれを誤魔化せているわけではない。特異な音感を持つ特異な声のUAだから「わるくない」けれど。
 個人的には、知らない曲のほうがやはり良かった。純粋に「UAの歌」として聴けたから。どろろんえんまくんのテーマ『妖怪にご用心』とか。
 あと、甲本ヒロトが参加しているのだけど、ヒロトの声は強すぎて、デュオは合ってないなあと思いました。小学校の合唱でもきっとヒロトくんは歌わせてもらえずにカスタネットを叩かされていたはずです。

 さて本命、女神・元ちとせ。amazonから届くのを心待ちにしてるんだけど、

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 まずこのヴィジュアライズに驚いた。誰? という感じ。誰が撮ったんだろう。
 はるかむかしLPレコードというものがあって、大きなジャケットは一枚の絵でもあったのだけど、そのくらいのサイズで眺めたいなあと思う。正当に美しい。あいかわらず性的魅力はまったく感じないのだけど(椎名林檎とはまったくの逆の立ち位置)、神性、神的魅力とでも名づけようか、そういうものを感じる。

 元ちとせは、誤解を恐れずに云うけど、子供を産んで復帰して、ある種の特別性を失ってしまった。(ついでにずいぶん体重も失ったようだったけど。)復帰してからの彼女の歌には声の芯のようなものが消えてしまっていた。
 本当に誤解を恐れずに云うけど、だいたいにおいて女性は子を持つとその特別性を失う。それは子に引き継がれる、あるいは奪われるのかもしれないし、別の何か(たとえばそれを「母」と呼ぶのかもしれない)に変化するのかもしれない。僕などはその事象に切なさを覚えるけれど、でもそれは正当なことで、それを否定するとあの大阪の事例みたいなことになるのかもしれない。(あれは本当に許しがたいことだ。)
 ただし、だからといって彼女の歌がホンモノであることに変わりはない。彼女が新たな特別性をギフトとして授かったのかどうか、もうすぐ聴ける。

 


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